こんにちは。
高知の偉人というと前回の高知駅前に銅像として立っている三志士のイメージが強いのではないかと思います。
しかし土佐藩の駆け出しを担った山内一豊もまた大河ドラマ「功名が辻」で取り上げられるほどの人物。
さて今回も四国旅。
旅は2日目、朝高松を出発し、丸亀城を観光、高知までやってきました。
2日目の最終目的地は徳島。限られた時間で高知を観光するために、定番スポットに絞って観光を進めています。
今回訪れるのは高知城とそのすぐ隣に位置している高知城歴史博物館。
駅前で観光した幕末の時代とはまた異なった時代、土佐藩の始まりを感じられるのが高知城。そして高知の歴史を存分に学べる高知城歴史博物館をじっくりと紹介していきたいと思います。
それではスタート!!
ひろめ市場のすぐ近く、また高知県庁も城の敷地内にあるという街の中心に位置する高知城へとやってきました。
いきなり見どころがやってきます。
高知城の表門である追手門越しに天守を望むことができるポイントで、高知城の中でも見どころとなる場所になっています。
そのまま追手門を入っていく前に、少しそれて見に来たのが山内一豊騎馬像です。
山内一豊は信長秀吉家康の時代を生き抜き、関ヶ原の戦いの功績から土佐を与えられ初代土佐藩主になった人物です。
こちらの騎馬像はとても大きく、日本最大クラスの大きさを誇っているようです。
立像ももちろんいいですが、騎馬像もいかにも武士というように見えてかっこいいです。
少しばかりの寄り道を終えて、城内へと入っていきたいと思います。
こちらの追手門は石垣の上に櫓が乗っかっている櫓門の形となっている他、枡形状にもなっているので、守りの強固な城になっています。
なにか取材が来ているのか、カメラクルーが追手門をずっと撮影していました。
城内に入りまず見えてくるのは再びの銅像です。
こちらは板垣退助像。自由民権運動の父として有名ですが、この人ももとは土佐藩の人間。
土佐藩主山内豊信の側用人として仕えていましたが、藩の方針と異なる思想を抱き、討幕派と連携、明治維新後は参議として明治政府に関わりました。
写真めちゃくちゃ見にくいですねすいません。銅像にするべき偉人が多いのも高知の特徴かもしれません。
高知県は雨の多い土地だったこともあって、城内では排水の対策ががっちりとなされています。
看板の先に見える、石垣から飛び出しているのがその排水対策である石樋です。
このおかげで雨の多い高知でも現存する建物が多い城として生き残っているのでしょう。先人たちの知恵はすごいものですね。
名は千代と伝わるそうですが、確証があるわけではなく通称となっています。
大河ドラマ功名が辻では山内一豊とともに主人公となり、一豊を支えた妻として話題になりました。
銅像の前に設置されている看板にも、千代が一豊の出世を手助けしたというエピソードがいくつか紹介されていました。
こちらは三の丸石垣です。高さ約13mを誇り、壮観な石垣の様子を見ることができます。
三の丸石垣は築城から10年の歳月をかけて最後に完成された石垣。
ただそれだけの時間をかけていても、現在懸念されている南海トラフを震源とした自身である宝永地震をはじめとした災害などで何度か崩れ落ち、修復された跡が残っているようです。
そして三の丸内にはもうひとつ注目すべき石垣が眠っています。
こちらは長宗我部期石垣と呼ばれるもので、戦国時代四国の覇者となった長宗我部氏が築いた城の石垣であるとされています。
しかし長宗我部氏は城下町の水害に悩まされたことから、現高知城のあるこの城から3,4年ほどで桂浜の近くにある浦戸城へと移転してしまったそうです。
四国の覇者となった長宗我部氏でも手に負えなかった水をうまく操り高知城を築城した山内一豊の技量がよくわかるエピソードですね。
二の丸に上がると高知城懐徳館への入口が見えてきます。
天守と本丸御殿へと続くこの櫓を通っていきます。二の丸と本丸の差が建物内に入っての移動になるので、イマイチわかりにくいです。
本丸御殿は来客時などに使用されていたようで、ここ二の丸にあった御殿が藩主の居住空間になっていました。
さてさてこちらが南海道随一の名城と謳われる高知城の天守です。
南海道とは古代の日本の地域の一つで、現在の四国と近畿南部が南海道に含まれるエリアとなっています。
四国には現存天守も多く、立派な城も多いとは思いますが、その中でも高知城は南海道随一と呼ばれる優美さを誇っています。
この日は天気も良く、実際にその優美さを体感することができたかなと思います。
本丸御殿内、天守内は見学ができるとともに、博物館のように展示物が所狭しと並んでいます。
まず本丸御殿が残っているのはこの高知城と川越城のみという超レアな場所に立ち入れるだけで感動ものですが、内部の展示もなかなか見ごたえがあります。
筆者が気になったのはこちら。土佐藩山内家の家紋です。
三菱の創業者である岩崎弥太郎もまた土佐藩に仕えていた身でした。現在の三菱のロゴも山内家の家紋が由来の一つになっているとも言われています。
現在は残っていない二の丸三の丸御殿も再現されており、とてつもなく立派な城の様子を伺うことができます。
高知城も天守や本丸御殿をはじめ、残っている建物が多い方ではありますが、それでもこの模型を見るとだいぶ変わってしまった所が多いことを実感できます。
天守の最上階へとやってきました。
現存天守であることもあって、階段はめちゃくちゃ急なので訪れる際は注意が必要です。
写真は東方面です。ひろめ市場やはりまや橋などのある方向で、ビルが立ち並び高知の中心部であることがはっきりとわかります。
こちらは西側です。
やはり東側に比べると建物の高さが落ち着いている印象で、住宅街が広がっているのかなと考えられます。
高知県は東西に広く伸びており、南西の方向にに淀川や四万十川、足摺岬などまだまだ見るべき観光地がたくさんあります。アクセスがどうしようも悪いので今回はいけませんが。
天守内の見学を終えて二の丸へと戻ると、アイスクリンの売店を発見しました。
高知はご当地アイスが多く、ミレービスケットを使用したアイスや柑橘系のアイス、そしてアイスクリンと様々な種類が揃っています。
アイスクリンはアイスクリームと瓜二つの見た目をしていますが、食べてみるとシャリシャリ食感でシャーベットのような感じです。
8月上旬ということでとにかく暑い日でしたので、一休みにはアイスが最高でした。
高知場内の見学を終えたのちにやってきたのは、高知城の目の前にある高知城歴史博物館。
2017年に開館したまだ新しい博物館で、山内家にフォーカスした展示が行われています。
ちなみに坂本龍馬に関しては、龍馬の生まれたまち記念館や桂浜近くにある坂本龍馬記念館の方が詳しく学べると思います。
撮影が可能だった一部分をお見せしながら展示内容についてさらっと書いていこうと思います。
こちらは高知県の歴史を年表にしたものです。とても詳しく書いてあり、じっくりと読み込んでしまいました。
高知の歴史をさっと学んだあと、展示室へと続く順路になっています。
この時は1つは展示替え中で閉鎖、そしてもう一つは芸術の展示になっていました。
特別展示は仁淀川流域についての展示が行われていました。
常設展はとくになく、企画展がメインになっているようです。
博物館の3階部分には高知城展望ロビーと呼ばれる場所があり、追手門から天守までを望むことができます。こちらは有料ゾーンになります。
高知城を背景に写真撮影をできるスペースなどが設けられており、高知城をここからしか見られないような視点から楽しむことができます。
ということで今回はここまで。
南海道随一の名城と謳われた高知城。その評判に恥じない優美さを持っており、さらに偉人たちの銅像など見どころの多い城になっていました。
また、高知の城下町の景色を楽しめる天守だったことや、アイスクリンなど高知観光の一部として十分に楽しむことができると思います。
さて次回は移動回。高知から徳島までの特急乗り継ぎの様子を書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。