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【旅行記】草津宿で江戸の旅を知る 関西歴史旅⑤

こんにちは。

最近暑すぎて寝ていられなくて、朝早く起きてしまいがちです。

せっかく早起きしているんだから有意義に時間使いたいよなとか考えるんですが、その分昼寝してしまうので、時間に余裕が生まれているわけではないんですよね。

 

さて今回も関西歴史旅です。

旅行のタイトルである歴史旅にふさわしい観光をしていきたいと思います。

旅は1日目、午後になり滋賀県の観光を本格的に始めました。

まず訪れたのは草津。関東の温泉地ではなく、中山道東海道が交わるまちの草津です。

草津には本陣が現存しており、資料館として見学することができます。

また、旧東海道中山道の分かれる地点も残っており、草津の街の歴史を体感することができます。

今回は2つの場所を見学し、その歴史を学んでいこうと思います。

 

それではスタート!!

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草津川の跡、草津川跡地公園のすぐそばにあるこの交差点。

ここが東京日本橋で逆方向に分かれた東海道中山道の合流地点になります。

そして写真中央にあるのが東海道中山道の分岐点であることを示す追分道標。

ここが分かれ道であることを今でもしっかり示しています。

 

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道標には「左中仙道みのぢ」「右東海道いせみち」と記されています。

その通り、先ほどの道をまっすぐ、トンネルを抜けて草津駅方面に進むのが中山道

現在の琵琶湖線と同じように米原方面へと進んでいきます。

ここを右に曲がり、鈴鹿峠に進むのが東海道になります。

東海道から分かれ伊勢方面へと向かうのが伊勢街道であり、「いせみち」と記されているのは、当時伊勢参りの人気が高かったからだと思います。

 

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この追分道標は市の文化財になっているようです。

先ほどの道標の上についている常夜燈は当時の飛脚から寄進されたもののようです。

そのまま残っていることが評価されているのでしょうかね。

 

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草津川跡地公園と追分道標から少し歩くと、現存する草津宿本陣へとたどり着きます。

草津宿は1843年の全盛期には本陣が2軒、脇本陣が2軒、旅籠が72軒を数える大規模な宿場町でした。

その本陣のうちの1軒である田中七左衛門本陣が現存し、公開されています。

 

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本陣は公家や大名など限られた人しか宿泊できない施設でした。

一般庶民にとっては関わりのない場所でしたが、その役目を終えた明治時代以降は郡役所や公民館として利用され、その姿を今にとどめています。

1949年にはその価値が認められ、国指定史跡になりました。現存する本陣の中では最大規模の施設になっています。

 

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本陣と交流館の共通券は大学生で260円でした。学生証を提示する必要があります。

また、感染症対策として、入館できる人数が限られていることや連絡先の記入などを求められました。

日曜の午後でしたが、見学者は少なく混雑はしておりませんでした。

 

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中の撮影に関しては、資料などの展示は単体での撮影が禁止、部屋の全体像などは大丈夫との事でした。

こちらは畳廊下。玄関から上段へとつながるその名の通りの廊下です。

ただ、混雑時はここにも寝泊まりすることがあったようです。

敷居のふすまの高さがだいたい170㎝程度しかなく、筆者も少し身をかがめる必要がありました。これは当時の人の大きさを物語っているものだと思います。

 

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上段の間の先には庭園があります。

本陣はとても広い敷地を持ちますが、その広さゆえに現在では一般の住宅になってしまっている場所もあります。

この庭園の向こうには住宅があり、そこまで含めて本陣の敷地であったようです。

 

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こちらは台所土間。土間にはスリッパが置かれており、実際に降りて見学することが可能です。

ここでは宿泊者の食事などを調理していたようで、1度に200合ものお米を炊くことが出来たようです。とてつもない規模だ…

写真は撮れませんでしたが、和宮降嫁の際に立ち寄った和宮に出された食事の献立も再現されており、見ごたえがありました。

 

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写真は湯殿へと運ぶためのお湯を沸かす釜ですが、このようにして庭の部分に少し出ることができます。

ここでは土蔵を見学したり、楽座館という草津宿本陣に宿泊した著名人の解説などが展示されています。

代表的な人物でいうと、赤穂事件の浅野内匠頭吉良上野介新選組土方歳三などが宿泊した記録が残っています。

 

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こちらで共通券を提示し、交流館の分をもぎってもらいます。

こちらでも連絡先の記入を求められますが、本陣でも書いているので名前だけでOKでした。

基本的に撮影ができなかったので、ざっくり展示の内容だけ紹介します。

江戸時代の旅、宿場町、草津宿をテーマに様々な種類の展示がなされていました。

中でも、草津宿のまちなみ模型は、当時の草津宿の規模の大きさを実感できる見ごたえのある展示でした。

 

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この道は本陣や交流館前の旧東海道です。写真の向こうが草津駅方面になります。

道の細さからして現代に整備された道とは異なる印象を抱きます。

また歴史を感じる建物が道沿いに点在し、マンションも名前が○○本陣だったり、門構えが昔風で立派だったりと、まちをあげて宿場町の景観を作っているようでした。

道が細い割には人も車も多いので、訪問時は注意して歩く必要がありそうです。

 

 

ということで今回はここまで。

草津の観光としてはメインとなるであろう、草津宿本陣を見てきました。

そもそも江戸時代のものが現在まで残っていること自体がすごいことですし、中に実際に入って見学できるというのが新鮮な体験でとても楽しかったです。

この日は外も蒸し暑くて、エアコンもない中で見学というのは少しきついかなと思っていたのですが、思ったよりも涼しく、これが江戸時代の知恵なのかもしれないなと思いました。

 

東海道中山道沿いにはたくさん宿場があり、建物は残っていなくても道幅や、道標などその時の様子を今に伝えるものが残っているかもしれません。

近くに寄ったら少し見てみるのも面白いかもしれませんね。

 

次回は草津を後にし、石山へと向かっていきます。

最後までお読みいただきありがとうございました。