こんにちは。もう2月になってしまいました。急いで書いていきたいと思います。
9月に行ってきました東北歴史旅の3回目です。
2日目を迎え、今回は北上にあるホテルを出て平泉観光をします。
前回の記事はこちら↓
今回は北上駅からスタートです。
朝の北上駅です。8時半くらいですかね。もうそれほど人はいませんでした。
平日ということもあって皆さんもう会社や学校なんでしょうかね。
こちらに乗って平泉へ向かっていきます。
この車両なんかすごいローカル感ありますよね。よくローカル線の旅とかでも見るような気がします。
中はこんな感じ。ボックス席がいい感じです。
発車するだいぶ前に撮ったと記憶してますが、この時点では私以外には誰も乗っていませんでした。
ボックス席はこんな感じ。ちょっと暗いですね。
この席に1人で座れるくらいの空き具合でしたね。
平泉駅に着きます。この運賃表が車両の中にあるのが新鮮でした。
ほとんどバスでしか見たことがないです。
平泉駅ではそこそこの人が降りました。皆さん観光客みたいな感じでした。
平泉駅の外観です。外観は歴史を感じさせるような荘厳なデザインですが、中はきれいでした。みどりの窓口やNEWDAYSもありました。御手洗いももちろん綺麗です。
平泉にはこんなにたくさんの見どころがあります。
円を書くようにぐるっと回れるので、ゆっくり歩きながらももちろん、いろいろ巡ってくれるバスなんかもあるので、結構観光しやすい場所なのかと思います。
まずは駅からまっすぐ歩いて毛越寺です。
写真を見てわかる通り世界遺産です。毛越寺は奥州藤原氏の2代基衡3代秀衡の時に最盛期を誇ったようで、往時は中尊寺を超えるほどの存在だったとか。
こちらは復元図です。これだけのものが存在していたと考えると、中尊寺超えも納得です。いまはほとんど残っていないんですけどね。
松尾芭蕉の俳句の碑がありました。
日陰で見にくいですが、2つありますね。「夏草や兵どもが夢の跡」という句は平泉で詠まれたものなのですね。聞いたことはある句です。
池は毛越寺で唯一当時のまま残っているらしいです。
確かにこの広大な池を見ると相当な栄華を誇っていたんだと実感できるものです。
いろんな跡がありましたが、多くはこの講堂跡と同じように、説明書きと看板が立っていました。
火災で焼失したのが悔やまれます。残っていたら相当な名所になっていたのではないでしょうか。
跡なのでほんとに何もありません。ここの説明書き見ると水田として使われていたと書いてありました。遺跡を遺跡と思わずに水田として使ってたなんて...
こんな感じでほんとに池しかありません。完全に想像するしかありません。
遺跡というよりは広場ですかね。
この後は歩いて中尊寺まで向かっていきます。
中尊寺まで歩く途中はこんな感じの景色でした。
私は関東生まれの関東育ちなので、実家に帰るとかないんですが、実家の雰囲気ってこんな感じなんですかね。結構こういうところに住んでみたいと思ったりもします。
またしても途中に平泉世界遺産センターがありました。
時間が怖かったので寄りませんでした。バス停があるんでここも観光地ってことなんでしょうね。
だいぶ歩いてようやく到着です。中尊寺です。
まさかこんな山だとは思ってませんでした。ここから登って金色堂を目指します。
結構山道です。軽く登山です。想像してなかった分不意打ちを食らった感じで大変でした。
途中には展望台兼休憩所がありました。
この景色が見れると登った実感が湧きますかね。結構休んでいる人は多かったです。
あと地元の小学生が遠足で来てました。みんな興味なさそうでした。
ということで金色堂です。
中は写真禁止だったので貼れませんが、ほんとに金色でした。
これが昔から保存されているとすると感動でしたし、当時の栄華を感じることができます。
そして毛越寺、観自在王院は人が少なかったですが、中尊寺はめちゃくちゃ混んでいました。特に外国人観光客が多かったです。
最後に無量光院跡です。こちらも跡なので池しか残ってません。
そしてすぐ後ろには東北本線が通っています。多分電車の中から見えるはずです。
ちなみにこの日は発掘工事だか復元工事だかをしていてしっかりとは見れなかったです。
平泉駅に戻ってNEWDAYSで売っていたジェラートを買いました。
ミルクの甘さでほんとにおいしかったです。ですがカチカチの状態だったため、とけるまで待っていたら電車が来てしまい、大急ぎでかきこみました。
というわけで長くなったので今回はここまでにします。
平泉は中尊寺以外人が少なく、静かにゆっくり見ることができました。平日はおすすめです。
次回は盛岡に向かい昼食を食べ、角館観光をして東京に帰ります。
ご覧いただきありがとうございました。