こんにちは。
9月の旅行は野球を見に行こうと思ったのですが、チケット販売が中止になり、旅行もいったん白紙。
先のことが読めないのはつらいですね。
さて今回も関西歴史旅です。
旅は2日目の午後。京都と大阪の県境近くにある石清水八幡宮へとやってきました。
前回は石清水八幡宮のある男山へと登るための石清水八幡宮参道ケーブルを書いていきましたが、今回は石清水八幡宮そのものについて紹介していきたいと思います。
石清水八幡宮は京都の神社仏閣の中で比較すると知名度が低くなってしまうかもしれませんが、地元の方々にははちまんさまとして親しまれているそうです。
実は筆者、高校の古典の授業で石清水八幡宮を知りました。
ある有名な古典の文章の中に石清水八幡宮が登場するんです。
そんな話もしながら紹介していきたいと思います。
それではスタート!!
参道ケーブルの八幡宮山上駅を出るとそこは、森。
イメージとしては駅からそれほど離れていない距離に石清水八幡宮があるのかと思いきやそんなことはなく、しばらく歩く必要があります。
左側の階段を上がると展望台へと向かうことができますが、急なことに加えて苔などで滑りやすくなっているので、この階段からは向かわない方がいいと思います。
迂回路もありますし、先に参拝を済ませてから向かうこともできます。
石清水八幡宮の境内図です。男山の全域に広がっており、麓から参道が続いています。
おすすめのルートは、図の矢印通りに先に参拝し、ぐるっと回って展望台という流れがスムーズでいいと思います。
それではまず参拝するために本殿へと向かっていきます。
参道ケーブルが貸し切り状態だったので当たり前なのですが、参道を歩いている時に全く人と会いませんでした。
聞こえるのは鳥と虫の声。まさに大自然の中にほっぽり出された感覚でした。
しばらく歩いてやっと人の雰囲気が。
左隅の階段を上がると本殿へと向かうことができます。
右側には車で来た場合の駐車場や、八幡の竹とゆかりのある発明家エジソンの記念碑があるそうです。
事前の勉強不足で、エジソン記念碑は見事に見逃しました。後悔。
先程の写真の左側の階段を上がると、表参道のまん真ん中に当たります。
4方向に分かれていますが、この道をまっすぐ写真奥へと進むのが裏参道になります。
展望台へはこちらの道を通っていきます。
こちらが石清水八幡宮の南総門です。
この写真ではわかりにくいですが、南総門の正面に本殿があるわけではなく、少しだけ西向きにずらされています。
これは帰る際に八幡大神様に背を向けないような作り方がされているようです。
八幡大神は源氏の氏神として崇敬を受けていました。源義家はここ石清水八幡宮で元服したことから自らを八幡太郎義家と名乗ったそうです。
相変わらず手水舎は水がずっと流れている状態。
これが普通になってしまうのでしょうかね…
石清水八幡宮の本殿です。
御祭神は第15代応神天皇、比咩大神、神功皇后で、総称して八幡三所大神とされています。
八万社は大分県の宇佐神宮を総本社として全国に数万社あり、鶴岡八幡宮とかもそうですね。
参道ケーブルからそうでしたが、本殿にも至る所に向かう合う阿吽の鳩がいました。
少し参道を遡って三の鳥居までやってきました。奥に南総門や本殿がちらっと見えています。
さて少し横道にそれますが、石清水八幡宮は山の麓に一の鳥居や高良神社などが存在します。これが古典で習ったと話した徒然草の話につながります。
吉田兼好の書いた随筆である徒然草。その中の一つの話に仁和寺の法師の話があります。
仁和寺の法師は一人で石清水八幡宮を参拝しようと出かけました。山の麓にある高良神社などをお参りし、本殿がある山の上に人が登っていく姿を見たものの、何も知らない法師は山麓で満足して帰ってきてしまいました。この話に対して吉田兼好は、些細なことでも導いてくれる人が必要であると説いています。
この部分を授業で習ったんです。
正直この話は忘れていましたが、石清水八幡宮に訪れて、あの時の神社がここなのかと思い出しました。
その時は興味なくても、このようにつながりを思い出すのも旅の醍醐味ですね。
三の鳥居の前にあるこちらは一ツ石と呼ばれます。
周りが石畳の参道なので、すぐに見つけることができるような場所にあります。
勝負石とも呼ばれ、必勝や勝運などの御利益が期待できるそうです。
最後にこちらが表参道。さすがにこちらから来る参拝者は見ませんでした。
車でも結構来ているようでした。
ちなみにここを下っていくと松花堂弁当の由来になったとされる松花堂跡を見ることができるそうです。
さすがにそこまで行く元気はなかったのでスルーしてしまいました。
ということで今回はここまで。
一緒に展望台からの風景もと思いましたが、どんどん長くなってしまうので今回は割愛し、次回に回したいと思います。
石清水八幡宮なんですが、高校の時石清水的な似ている名字の子がいて、古典の授業の時にいじられていた記憶があります。
そんな感じで、高校で習い大学受験のために使って、それ以来全く触れていなかった古典での知識が、旅先にこうやって絡んでくるとは思いませんでした。
日本史と近い部分もあるので、記憶にないだけで実はもっと関連したような場所を訪れていたのかもしれません。
次回は展望台からの景色と大阪での話です。
最後までお読みいただきありがとうございました。