こんにちは。
梅雨のような天気が続き、いたるところで大雨になってますね…
とにかく被害が出ないことを祈るばかりです。
さて今回も関西旅を書いていきます。
旅は2日目午後。京都市南部の伏見にやってきました。
京都観光というと京都駅より北側がメジャーなんですが、南側もその歴史が深く史跡もたくさんあります。
伏見というと伏見稲荷が有名かと思いますが、今回訪れるのはもう少し南側。
秀吉が伏見城を築城した際に整備された城下町に当たる部分を観光していきます。
伏見には様々なジャンルのスポットがあり、じっくり観光することもできます。
今回は3つのスポットを見ていきたいと思います。
それではスタート!!
伏見の現在の中心は恐らく写真の大手筋商店街です。アーケードにもなっており、賑わいもあります。
大手筋は伏見城から西へと延びる通りで、秀吉の時代はこの通りを中心として街づくりがなされていたようです。
アクセスですが京阪電車の伏見桃山駅のほかにも、近鉄の桃山御陵前、JR奈良線の桃山駅など、鉄道路線も充実しています。
港町京都伏見。港町っておかしいんですよね。
御存じの通り京都府が海に面しているのは北の日本海のみ。そうなると伏見で港町というのは違和感満載ですよね。
これは河川を利用した水運の港が伏見に位置していたということで、港町ということにつながっています。
元々宇治川によって大阪と結ばれていた水運に、高瀬川が開削されたことにより京都とも繋がり、伏見が水運の要衝となったそうです。なので港町なんですね。
伏見に到着してまず最初にやってきたのは、魚三楼さん。
こちらで食事をとるわけではなく、このお店に歴史が刻まれています。
伏見の街は、幕末戊辰戦争の最初闘いとなった鳥羽伏見の戦いの舞台になったのです。
その跡がこのお店にくっきり残されています。
外観的には高級料亭といった様子のこちらのお店ですが、近づくと何やら歴史的なにおいがプンプンとしてきます。
まあ筆者は料亭なんて行ったことないので、どこの料亭にも歴史的価値があるのかもしれませんが、こちらは軒先にがっつりと書かれています。
説明書きにもある通りこのお店には、鳥羽伏見の戦いの際の弾痕が残されています。
新政府軍と旧幕府軍が伏見の市街地で激しく戦った様子を実際に見て感じることができます。
こちらがその弾痕です。詳しくないのでどこからどう放たれたものなのかは全く分からないですが、戦いの生々しさを感じてしまいます。
新政府軍は御香宮神社、旧幕府軍は旧伏見奉行所に陣取り、魚三楼近辺の市街地で激突しています。
戦の結果としては、新政府軍が旧幕府軍の旧伏見奉行所を砲撃し奉行所が炎上、旧幕府軍が撤退しました。
この奉行所の炎上から火が広がり、伏見の街も半分ほどが焼失してしまったようです。
所変わって大手筋商店街の道中。銀座発祥の地があります。
銀座といえば現在の東京のあの通りとかあの百貨店を思い浮かべてしまいますが、元をたどれば徳川家康が設置した貨幣、銀貨の鋳造所。
関ヶ原の戦いに勝利した家康は伏見城の城下であったこの場所に初めて設置したそうです。
現在もこの碑は銀行の目の前にあり、貨幣に関わる場所となっているのが面白いところです。
大手筋を離れて次の目的地へと歩いて向かいます。
伏見の街並みは歴史が感じられる街並みで、いたるところに蔵が存在してます。
伏見は豊かな水源を利用した酒造が有名です。筆者はそこまで日本酒が得意ではないのでスルーしましたが、月桂冠大倉記念館があり、酒造を学んだり試飲などもできるようですよ。
続いてやってきたのは2度も歴史的な事件が起こっている旅籠寺田屋です。
1度目は薩摩藩内による同士討ちの事件、2度目は坂本龍馬が襲われた事件です。
どちらも歴史の教科書だったり、大河ドラマでは必ずと言っていいほど描かれる大きな事件。
京都から近い位置にあり、薩摩藩の定宿であったことが2度も事件を引き起こした要因なのかもしれませんね。
さて建物内を見学と行きたいところですが、月曜休み!!
見学施設ではよくあることなのでそこまで残念ではないですし、調べてないのも悪い!
ちなみにこの建物旅籠寺田屋となっていますが、当時の建物ではなく、再建されたものになります。
実際には隣の庭園が当時の寺田屋の跡地であり、当時の建物は鳥羽伏見の戦いの際に焼失したとされています。
隣の庭園には龍馬像もあるみたいですが、もちろん見学はできず。
寺田屋の碑の横に書いてある薩藩九烈士というのは、最初の寺田屋事件の際に薩摩藩の同士討ちによって討ち死にした藩士のことを指しています。
最初の事件の方に関しては筆者もよくわかっていなかったので、正直坂本龍馬の襲撃の方と何か関係あるのかと思いました。もう少し勉強して再訪したいですね。
一通り伏見観光を終えて帰りは中書島駅へと向かっていきます。
その際に通ったこちらの川。特に何も関心がなかったのですが、こちらの川は、伏見城の堀として利用されていたものだそうです。
伏見城の遺構はそこまで残っておらず、現在ある伏見桃山城は模擬天守であり何の関係もありません。
伏見の街をつくった伏見城の築城が、水の街になる所以をもたらしたんですね。
本当に秀吉のおかげといった所でしょうか。
ということで今回はここまで。
伏見は京都に隠れがちですが、今回紹介した通り酒造から歴史から様々なジャンルの観光スポットが位置しています。
歴史一つとっても、秀吉の時代の遺構もあれば、幕末の遺構もある、いろんな時代を味わえる場所です。
京都観光のついでに訪れてみるのもいいかもしれませんね。
多分ほとんどの人が伏見稲荷までは来るはずなので、もう少しだけ足を伸ばしてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。