こんにちは。
今回は愛媛県の南予地方に位置する大洲市の旅行記をお届けします。
歴史的な街並みが観光資源となっている街がこぞって使用する○○の小京都。大洲市には伊予の小京都と呼ばれる歴史的な街並みが残されており、人気観光地となっています。歴史的といっても歴史の教科書でしか知らないような時代だけではなく、令和を生きる人々が懐かしいと感じるような建物もあり、それらを含めて大洲には様々な時代を感じることができる観光スポットが点在しています。今回はそんな大洲をじっくりとめぐってきましたので、大洲観光の様子を紹介していきたいと思います。
以下目次です。
それではスタート!!
松山から30分のアクセス
愛媛県の陸路での玄関口となるJR松山駅へとやってきました。愛媛県内各地へは基本的にこの松山駅からJRやバスに乗車して移動することになります。中心部はいよてつの松山市駅の方にあり、少しだけ距離があります。
松山駅は2024年に高架駅となる予定なので、現在のこの松山駅はまもなく見納め。△お屋根が特徴の歴史を感じる駅舎になっています。余談ですが、エキナカのうどん屋さんで名物じゃこ天の乗ったうどんを食べることができ、おすすめです。
松山駅から予讃線を進んで大洲市の中心駅である伊予大洲駅へと向かいます。今回は予讃線松山以南の区間を走る特急宇和海に乗車していきます。特急宇和海は3両編成でうち2両は自由席になっています。
手前には岡山高松からやってきた特急しおかぜいしづちが停車しており、同一ホームでの乗り換えが可能で利便性を高めています。
松山からは30分ほどの乗車時間で伊予大洲駅へとやってきました。伊予大洲駅は松山以南の予讃線の中では大きめな駅で、絶景が見られる駅として有名な下灘駅など海沿いを走ってくる海線と今回特急で走ってきた山線が合流する駅にもなっています。
大人気観光列車である伊予灘ものがたり号がやってくる駅とあって、駅舎や構内は伊予灘ものがたり号のデザインや写真がふんだんに使用されています。
大洲の歴史感じる建物を巡る
伊予大洲駅から歩くこと20分ほど。おおず赤煉瓦館に到着しました。おおず赤煉瓦館は明治に建てられた大洲商業銀行の本館。当時の大洲は肱川を利用した海運や木蝋に製糸業などで栄えに栄え、その時代の名残を感じる建物となっています。
現在は物産館と休憩所として中が公開されており、当時の栄華を外からも中からも楽しむことができます。
続いておおず赤煉瓦館の裏手にあるのが「ポコペン横丁」。なんとも素っ頓狂なネーミングですが、こちらは昭和30年代の商店街を再現した空間になっています。
看板の廃れ具合も昭和らしさを表しているような気がしますが、これは自然にこうなったのか、人工的なものなのでしょうか。
ポコペン横丁が実際に営業されるのは4月~11月の毎週日曜と、12月から3月の第3日曜のみ。何一つかすっていないこの日は完全に無人状態。賑わっている様子を想像して楽しむことしかできませんでした。
営業日には昔ながらの飲食屋台やおもちゃの販売、昔の遊びを体験できるお店なども出るそうです。次回訪問時は営業日に来たいですね。
続いてやってきたのは大洲神社。大洲のまちを発展させた所以である大洲城が築城された鎌倉時代に創建された神社で、大洲城の東方、神楽山に位置しています。
この大洲神社の見どころは、境内から見る大洲のまちなみだと思います。写真には写っていませんが、木の間からは大洲城の姿も確認することができました。このロケーションの良さから、度々ドラマや映画のロケ地として使われているそうです。
大洲神社のそばにあるいかにもなこちらはおはなはん通り。その名の通り、昭和41年に放送されたNHKの朝ドラ「おはなはん」のロケ地となったこの通り。江戸時代の街割と街並みがそのまま残されており、また異なる時代の大洲の様子を感じることができます。
おはなはん以外にも看板にある通り、東京ラブストーリーのロケ地にもなっているみたいです。どっちも筆者が生まれる前の話なので分かりません。
おはなはん通りを抜けてやってきたのが、大洲まちの駅あさもやです。こちらは観光協会やレストラン、名産品を販売している売店などが集まった、道の駅のような施設です。まちの駅なので正式には道の駅ではないのだと思います。
大洲のシンボル大洲城
おはなはん通りやまちの駅を離れて、続いてやってきたのは大洲のシンボル的存在でもある大洲城です。この大洲城は平成に復元されたものではありますが、復元のために用いられた資料が豊富だったこともあって江戸時代の大洲城の姿をきっちりと復元できているそうです。そんなこともあってか日本100名城に登録されているんですね。
天守の入り口までやってきました。下からはだいぶ上ることになるので覚悟が必要です。ただその分待っている景色も美しいと信じて頑張りましょう。
大洲城は鎌倉時代に築城され、その後は小早川隆景や藤堂高虎など名高い武将によって改築されていった経緯を持ちます。詳しくは分かりませんが、藤堂高虎は築城の名手だったはず。きっと大洲城も素晴らしい技術が使われてるんだと思います。
これだけ城を訪れておいて詳しくないの申し訳ないんですが、大洲城を訪れて特徴に感じたのがこちら。なんと天守内に吹き抜けがあります。建物の構造的に強度が弱ったりしそうなイメージがありますが、そこをカバーする技術を持っている人が築城したということなんでしょう。
天守閣最上階からの眺めです。肱川の河畔に立つ大洲城は、北側を肘川に面し、城下町は南側に広がっています。今回の散策では先に城下町を巡ってきたので、天守から眺める城下町もあの辺に神社があって…などと振り返りながら楽しむことができました。
大洲城は城の中から楽しむものだけではありません。大洲城の目の前にある肱川にはJR予讃線の橋がかかっており、うまく時間を合わせれば列車と大洲城を1枚の写真に収めることができます。これは列車の下に城というちょっと惜しい構図になってしまってますが、対岸に行けば鉄道と同じ高さに城を持ってくることができます。人気の撮影地になっているはずです。
駅から街歩きを楽しみながら大洲の観光地を巡ってきました。やはり昔の栄華を感じながら、小京都と呼ばれるにふさわしい歴史的な街並みを楽しむのがメインとなったかと思います。これでもすべてを周り切ったわけではなく、肱川の絶景を眺めることができる臥龍山荘などまだまだ名所がたくさんあるみたいです。松山観光から少し足を伸ばせば訪れることのできる場所なので、ぜひ検討してみて下さい。
この記事は2022年12月中旬時点での情報です。
最後までお読みいただきありがとうございました。