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【旅行記】歴史がとにかくすごい石山寺へ 関西歴史旅⑦

こんにちは。

とうとうオリンピックが開幕しましたね。

あまりなじみのない競技もテレビでやってたり、ネット中継でさらっと見ちゃいます。

いろんなスポーツが知れて面白いですよね。

 

さて今回も関西歴史旅です。

1日目の滋賀観光。ほとんど昼からになりましたが、草津宿を観光してやってきたのは石山。

すでに15時になってしまいましたが、京阪石山坂本線の1日乗車券を購入し、沿線を観光していきます。

今回は紫式部源氏物語を書いたと言われ、文学の寺として名高い石山寺を観光していきたいと思います。

 

それではスタート!! 

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京阪石山駅から2駅8分。京阪石山坂本の終着駅石山寺駅へとやってきました。

今回目指す石山寺の最寄り駅になります。

午後3時過ぎということもあってか、車内はほとんど人がおらず、閑散としていました。

 

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最寄り駅といえど、石山寺までは少しばかり歩く必要があります。

その距離800メートル。途中までは特に何もない道、石山寺が近くなると門前町としてお店などが少しずつ増えてくるようになります。

写真の通り瀬田の唐橋にも歩いて向かうことができます。

というか石山寺よりも近いようですが、今回は1日乗車券があるので、ガンガン電車を使っています。

 

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石山寺駅から徒歩数分、石山寺へとたどり着きました。

電車車内の人が少なかったので、歩いている間もほとんど人の姿を見ることはありませんでした。

前回紹介した瀬田川沿いにあるお寺で、様々な歴史上の人物と関わりのあるお寺です。

 

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正面から撮影をしていませんでしたので、こんな写真で失礼しますが、こちらが入口にあたる東大門です。

この東大門はもともと源頼朝の寄進によって建てられた建物のようですが、焼失を繰り返し、豊臣時代に淀殿によって新築されたのが、現在も残るこちらの東大門のようです。

 

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東大門からまっすぐ伸びる参道です。

ここは両側に桜の木が植えられている桜並木となっており、春になると桜がとてもきれいにみられるようです。

石山寺は桜のほかにも季節によって様々な花が咲くようで、四季折々の景観を楽しむことができるようです。

 

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参道を進んで、手前に見える小屋のような場所で入山料を支払います。

入山料は大人600円で、チケットではなく、パンフレット式の巡拝供養券を頂きました。

さすがに午後3時ともなると入っていく人よりも、参拝を終えて帰路に就く人の方が多かったので、快適に参拝することができました。

 

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こちらはすぐにある見どころの一つ。くぐり岩です。

その名の通り穴をくぐると願いが叶うと言われているパワースポットです。

この時はちょうど梅雨の時期で雨が降り続いていたということもあって、滑りやすく危険なため立ち入り禁止になっていました。

 

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本堂へ向かうにはかなり急で、しかも長いこの階段を登っていく必要があります。

少し歩く距離が増えますが、遠回りすればもう少し緩めの階段を使って本堂の方へと上がることもできるようです。

先ほど説明したように、雨上がりで路面がぬれているので登っていくの結構怖かったです。

 

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本堂内は厳かな雰囲気でした。もちろん撮影は禁止になっています。

本堂は滋賀県最古の木造建築物で、国宝にもなっています。

また紫式部源氏物語を起筆したともいわれる部屋が、源氏の間として展示されています。

写真はないので感想だけお伝えしますが、ここで書けるのかという閉鎖感のある空間でした。ただやはりそういう閉ざされた環境の方が、創作活動がはかどるものなのでしょうかね。

 

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石山寺の御本尊は秘仏であり33年に一度か天皇即位の翌年にしか御開帳されることはありません。ご利益は福徳や安産とされています。

関連してのものか、本堂のすぐ上にある経蔵の下には、腰かけると安産になるとされる石がありました。

事前に調べていましたが、これは知りませんでした。

 

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石山寺は正式名称を石光山石山寺といい、本堂は珪灰石と呼ばれる天然記念物である巨大な岩盤の上に建っています。

まさに石山の寺ということなんですね。

そしてその巨大な岩盤が露出しているのが写真の様子です。

この手前には多宝塔があり、岩盤越しに多宝塔を見上げるのがビュースポットになっているようです。

 

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そしてこちらがその多宝塔。

源頼朝の寄進とされており、日本最古で最美の多宝塔とも呼ばれているそうです。

源頼朝をはじめとして、武家とのかかわりが深い石山寺は多くの堂宇が武家からの寄進によるものだそうです。

鎌倉時代には幕府に直接保護されており、よほど大切にされていたんですね。

 

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続いて本堂や多宝塔からどんどん上り、境内の橋にある月見亭にやってきました。

こちらは瀬田川や琵琶湖の風景が美しく、ここから見る月は「石山の秋月」として瀬田の唐橋の際にも登場した近江八景に数えられています。

江戸時代の俳人松尾芭蕉とのかかわりも深く、月見亭のすぐそばには芭蕉庵という建物があり、よくそこに滞在して句を詠んでいたそうです。

 

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ちなみに月見亭に入ることはできないので、近くから景色を必死に覗いてみましたが、こんな感じ。

木々に囲まれてほとんど何にも見えず…

かろうじて向こうの方にマンションが見える程度でした。

 

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さてここからは紫式部像を目指しどんどん奥へと進んでいきます。

紫式部像まではだいぶ距離があるようで、時間によっては閉山までに帰れないことがあるとの注意喚起がなされていました。

実際に紫式部像自体の存在は有名だと思いますが、多くの参拝客が月見亭を見てそのまま引き返しており、紫式部像まで身に行く人は少ないのかもしれません。

 

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しばらく迷いながら進んでやっと紫式部像にたどり着きました。

正直言うと、もう少し明るいところに目立つ姿であるのかなと思いましたが、思ったよりも森の中でした。

看板頼りに何とかたどり着きましたが、なかったら多分たどりつけませんこれ。

 

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石山寺はぐるっと一周できるようになっており、紫式部像を見た後は本堂の方へと戻るよりも周回ルートを下った方が早く東大門の方へと戻れると思います。

そしてその帰り道の途中で見つけたのが、こちら。

一見なんだかよくわからない場所ですが、めちゃくちゃ歴史のある場所。

瀬田の唐橋壬申の乱の話を少ししましたが、その争いの前の天皇天智天皇の石切り場であるとされています。

やはり石山寺は昔から石にゆかりのある場所だったようですね。現在では天然記念物ということで恐らく切って持っていき建造物に利用することはできないのではないかと思います。この石切り場なかなかすごいのに、超ひっそりありました…

 

 

ということで今回はここまで。

歴史的にすごいこと、すごい場所がたくさん詰まっていた石山寺でした。

紫式部が取り上げられがちですが、他の平安時代の女流作家や武家、さらに江戸時代の俳人など、いつの時代になっても、教科書に名前の載るようなすごい人たちに愛されていた石山寺

もしかしたら現代で創作活動をする方にも、明記されているようなご利益だけでなく、創作に関わるインスピレーションなどを得られるかもしれませんね。

 

次回はこちらもずっと行きたかった、近江神宮を参拝します。

最後までお読みいただきありがとうございました。