こんにちは。
今回も西日本周遊旅をお届けします。
旅は4日目。1日かけて鳥取観光を楽しんでいる筆者。
念願だった鳥取砂丘を観光し、鳥取へとやってきた一番の目的は果たすことができました。
もう岡山へ向かってもいい心情ではありますが、特急に乗車するまではまだまだ時間があるので、もう少しだけ観光をしていきます。
昼食を摂りたい時間ではありますが、目的のお店に行く前に通り道にある鳥取城を軽く観光していくことにしました。
というわけで今回は鳥取城観光の様子を書いていきたいと思います。
以下目次です。
それではスタート!!
鳥取の市街地を見守る鳥取城へ
鳥取砂丘より鳥取駅行きのバスに乗車。途中の西町バス停で下車してあること数分。目的地である鳥取城・久松公園にやってきました。
残っているのは石垣や堀のみで、建物はありません。奥に見える山には天守の遺構が見えます。
こちらは復元された大手門。
建物がほとんど何も残っていない鳥取城では写真の大手門や擬宝珠橋をはじめとして復元計画が進められています。
復元計画が進められているため、写真のように大手門より城の内部にははいっていくことができません。完全に入れないわけではなく、県立博物館のある方から入ることができます。
石垣が崩されている様子を見れるのは逆にレアだと思うので良しとしましょう。
様々な時代の遺構をめぐる
鳥取城は戦国期から幕末まで増改築を繰り返しながら存在してきました。そのため城跡では様々な時代の遺構を見ることができます。
写真の部分もその一つ。右側にあるのは江戸初期にあったとされる三階櫓の跡。その三階櫓は焼失し再建されることはありませんでした。そして100年ほど空き地の時代が続き、江戸末期には武具庫が作られました。それが写真左側にある遺構です。
またその三階櫓のある場所は鳥取城跡の中では山の上にある天守を除いて最も高い位置になります。そのため眼下に広がる鳥取市街地の様子を一望することができます。
計画上では三階櫓も復元するという話が出ているそうです。復元されたら鳥取の街のシンボルになるかも。
鳥取城の天守が置かれた久松山山頂へは登山道が整備されています。山頂までは50分程度と決して楽な道のりではないようです。
昔はロープウェイが整備されて、なんてこともあったそうですが、現在は歩いて登るしかありません。地元のおじさまおばさまが元気よく登山道に入っていく姿は何度か目撃しました。
ここでしか見れない巻石垣
鳥取城にある見どころのうち最も見るべきもがこちらの巻石垣。
球体状をした石垣で、日本では、というか城郭建築ではここ鳥取城でしか見ることができない代物となっています。
江戸時代にはできていたとされるこの巻石垣。
どうしてこのような形になっているのかというと、すでにあった石垣の補強として設けられたそうです。久松山からの地下水が石垣を押していて、巻石垣を設けることで崩壊を防いでいるという役割があるみたいですね。
明治の洋館「仁風閣」
鳥取城の見どころのもう1つに数えられるのがこちらの仁風閣。
明治時代に歴代鳥取藩主を務めていた池田家の別邸として建てられた洋館で、設計したのは赤坂離宮などでも知られる片山東熊。現在は国の重要文化財に指定されています。
また当時の皇太子(のちの大正天皇)の宿舎としても利用されていました。
いかにも明治の華やかさを感じる館内も見学することができます。
館内には仁風閣や鳥取城、池田家に関する展示があります。また、皇太子が宿舎として利用した際の謁見所など当時の雰囲気をそのままに感じられるような展示もあります。
仁風閣の中にも見どころがあります。それがこちらの螺旋階段。
中央に柱がなく、洗練された建築を窺い知ることができます。立ち入りは禁止ですよ。
仁風閣の目の前には庭園が広がり、仁風閣と合わせてフォトスポットとなってます。
したがって訪問した日も結婚式の撮影に来ていると思われるカップルに、晴れ着姿の女性などが来ていました。
今回紹介した見どころ以外にも、史上最悪の兵糧攻めが行われたこともある鳥取城。
そんな兵糧攻めを受けてしまった吉川経家像にも別れを告げて、鳥取駅の方へ向かっていくことにしました。
その歴史を勉強してから行くと、一味違った鳥取城観光をすることができるかもしれません。
ということで今回はここまで。
様々な時代ごとに見どころがある鳥取城。
戦国、江戸、幕末、明治。一度にここまで楽しめる城跡はそう存在するものではありません。鳥取砂丘のついででもいいので訪れて見たら面白いかもしれません。
次回は鳥取を離れて4日目の最終目的地である岡山県は倉敷へと向かっていきます。
念願のあのカフェも登場します。
最後までお読みいただきありがとうございました。