こんにちは。
「急がば回れ」ということわざを御存じでしょうか?
意味としては、危険な近道を行くよりも、遠くても安全で確実な方法を取るほうがはやいといったものです。
ことわざの語源が実際の出来事から来ているとは思いませんでした。しかも日本で。
今回はそんなことわざの舞台となった場所を観光していきます。
さて今回も関西歴史旅を書いていきます。
旅は1日目、滋賀県を観光しています。草津宿を観光し、再び琵琶湖線に乗って移動をします。
目的地は石山、石山からは京阪石山坂本線沿線で観光をしていきます。
そして今回注目していくのが瀬田の唐橋。現在は言ってしまえば普通の橋なのですが、歴史がとても深い橋です。
その立地から幾度となく戦いの舞台になったほか、導入で述べたようにことわざの起源ともいわれる橋なのです。
少し順番をいじってますが、まずは瀬田の唐橋について書いていきたいと思います。
それではスタート!!
さてまずこちらは石山駅です。新快速も止まる駅で、京阪石山坂本線との乗換駅です。
他にも膳所駅や湖西線の大津京駅でもJRと石山坂本線の乗換が可能です。
石山駅の乗換時に撮影したものですが、石山寺とゆかりのある紫式部が看板に使用されていました。
石山坂本線は沿線に観光地がこれでもかというほどある恵まれた路線です。
石山坂本線の改札を通りました。
車両が2両編成ということもあってかだいぶこじんまりした駅で、すぐ隣のJRの駅とは全く違う規模感になっています。
また鉄道むすめという全国の鉄道会社で時々見かけるキャラもいました。温泉むすめ?とか今流行りのウマ娘とか、こういう系の町おこしも流行ってるんですかね。
石山坂本線の沿線で観光をしていくので、既に時間は午後に差し掛かっていますが1日乗車券を購入しました。
700円で石山坂本線の全線、京津線の御陵駅まで乗り降り自由です。
紙の切符になっており、自動改札機には通せず、窓口の係員に見せる必要があります。
向こう側に見えるのがJRの石山駅です。
この時大雨の影響で東海道線の熱海小田原間での不通が続いていたので、貨物列車が足止めを食らっているようでした。
ここ石山だけでなく、膳所や草津にも貨物列車が停車していました。
まずは石山寺を観光していきますが、こちらは長くなるので石山寺の記事として次回まとめていきたいと思います。
石山寺観光を終えて、再び石山坂本線に乗り1駅、唐橋前駅で下車します。
唐橋前駅から徒歩数分、瀬田の唐橋にたどり着きました。
その歴史は深く、数々の戦いの場にもなり、東海道、中山道がここを通る交通の要衝として機能していました。
現在では国道1号は他の橋を通っており、主要道路の橋というわけではありませんが、
それでも交通量は多く、現在でも交通の中心になっていることは変わらないのだと思います。
瀬田の唐橋を渡り切りました。唐橋前駅の方には特に何もありませんが、渡った先には碑があったり、観光地であることが伺えるような場所になっています。
ここから見ると唐橋と呼ばれる所以がわかると思います。欄干が唐風になっており、このような形にしたのは織田信長だと言われています。
現在の橋は昭和に付け替えられたものですが、往時の姿を再現しているようです。
日本三名橋の記念碑も設置されています。
日本三名橋は京都の淀川にかかっていた山崎橋、宇治川にかかり最古の橋と呼ばれる宇治橋、そしてこの瀬田の唐橋が数えられています。
三大○○って日本にはよくありますが、まさか橋もあったとは、面白いです。
江戸時代に近江国の優れた風景を描いたもので、歌川広重も描いたようです。
瀬田の唐橋は「瀬田夕照」、夕日の名所として評価を受けていました。
それがこんな気付かなそうな柵に描かれているとは…
三名橋の記念碑の裏側にはこんな記載がありました。
俵藤太百足退治伝承の地とありますが、俵藤太とは藤原秀郷のこと。
藤原秀郷は歴史の授業で学んだことのある平将門の乱を鎮圧した人物です。
その秀郷が、ここ瀬田の唐橋を渡った際に頼まれ、三上山に住む百足を退治したという伝説が残されています。
三上山は現在の野洲の方にあり、どうあがいても矢が届く距離とは思えませんが、それが伝説ってやつですよね。
導入でも触れましたが、ここ瀬田の唐橋は急がば回れということわざの由来となった橋です。
その理由としては、東海道が関係しています。
東海道を京都へと向かい際にこの橋を渡る必要がありますが、草津から舟を用いて大津へ渡るショートカットが存在しました。
しかし穏やかそうに見える琵琶湖も、比叡山系から吹き降ろす風が強く、舟が確実に航行できる保証はなかったそうです。
そこで遠回りでも瀬田の唐橋を通った方が確実に旅程を進めることができるということから、急がば回れという句が生まれたようです。
明治時代まではここ瀬田川に架かる橋はこの唐橋1本のみでした。そのため交通の要衝として扱われ、古くは天智天皇の跡継ぎ争いであった壬申の乱、源平合戦や本能寺の変と幾度となく川を挟み、この橋を巡って戦いが繰り広げられました。
現在では琵琶湖側に近江大橋、東海道線、国道1号線、そして山側に東海道新幹線、名神高速道路の橋がかけられています。
名だたる主要道路や鉄道の橋があることから、今でも大動脈が通る交通の要衝として機能していることがわかりますね。
すこし待っていると新幹線が勢いよく通過していきました。
新幹線の線路があると、どんな感じで見えるのか気になってしまい、特にやることはなかったんですが、新幹線が通過するまで待ってました。
待ってるときに限ってなかなか来ないもんですよね。
橋の欄干というのか(?)に隠れてしまってそこまできれいに見ることができませんでした。
家も多いので騒音対策のためでしょうかね、仕方ないです。
ということで今回はここまで。
写真の枚数に比較すると長々と書いてしまったので、ここはすんなりと終わらせたいと思います。
歴史的に実はとんでもなく重要な橋だった瀬田の唐橋。
現在は観光客の姿は筆者以外には皆無で、地元のおじさんや学生がランニングしたりしてました。
ただ交通量的に、もっと整備して観光地化するのも困難なことだと思います。
ひっそり存在している方が、ツウな感じもありますしね。
次回は石山寺をじっくり書いていきたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました